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投稿エピソード


ペンネーム「きんこ」さん  掲載日:2018/11/15  ☆NEW☆
 高校1年生の時に先輩達の全国大会を見に初めて普門館に行った。今まで入った事のないような広い会場、黒いステージ。「私もこの舞台に立ちたい」1つの目標になった。当時、3金制度で高校2年生の年が3年目にあたる年。高校2年生でメンバーにならないと普門館のステージに立てないと思い、誰よりも早く練習に行き、個人レッスンにも通い必死に練習してメンバーになった。しかし、その年の結果は思ってもいなかった西関東ダメ金。あの日の記憶は今も鮮明に覚えている…

 高校3年生になり再び普門館を目指す事に。実力がない私達に顧問はやる気をなくし、「1年生部員100人入れないと今年度部活をやらない」という課題を出された。とにかく目の前の事に一生懸命やるしかなかった。必死に勧誘して1年生100人突破!根負けしたようにやっと顧問が部活に帰ってきた。その後も「こんな演奏じゃ県大会も突破できない!」と厳しい事ばかり言われながら何度も合宿をして練習した。自由曲のフレーズに「私達の夢を叶えて…全国金賞…」そんな歌詞をつけて、みんなで心の中で歌いながら吹いた。とにかく「みんなで全国大会に行きたい!」この気持ちだけで西関東を突破!西関東を突破した事でメンバーの団結力が一層強くなった。普門館では楽しく演奏したい。笑顔で演奏したい。

 最初で最後の普門館。ずっと憧れ続けた普門館。ステージに立ったあの日の感動は21年たっても私の宝物の思い出。たくさんの事を学ばせもらった普門館。本当にありがとう。
N.Hさん  掲載日:2018/11/13
 福島の田舎の中学生だった私は、ピアノを習っていた延長感覚の単に『音楽』つながりと言うだけで吹奏楽部に入部し、『格好いい』だけでサックスを始めました。吹奏楽とは何ぞや?の世界でした。当時、私が通っていた『第一中学校』のお隣学区・『第二中学校』の吹奏楽部はすでに全国大会常連校となっていて、同じ市で同じ中学生なのにこんなにも違うのか~と憧れもありつつ、羨ましくもありました。そんな素晴らしいお隣の中学校があったおかげで、私たちの中学校のみならず、地域の小中学校・高校の全体で、吹奏楽が盛んでした。

 私たちの中学校の吹奏楽の顧問は、音楽に対してとても情熱的で、指導も熱く、私たちも先生に引っ張ってもらいながら、食らいついていくように練習をしていました。(今の時代、こんな根性論は『音楽じゃない』と言われてしまいそうですが…。) 普門館で行われる全国大会を聴きに行くため、希望者を引率して連れて行ってくれた事もありました。聴衆として初めて足を踏み入れた普門館、ここがみんなが憧れる、夢にまで見た場所なんだ、と、とても感激したのを覚えています。あの黒いステージで、こんなにもたくさんの聴衆に囲まれて演奏するって、どんな感じなんだろう…。いつかこのステージに立ちたい!と、吹奏楽をやっている人みんなが思っていたのと同じように、福島の田舎の中学生も思ったものです。そんな先生の指導の元、県大会どまりだった中学校が、私が1年生の時には初の東北大会、3年生の時にはあと1歩で憧れの普門館、と言うところまで成長しました。高校に進学してからも吹奏楽は続けましたが、私は結局『全国大会』と言う舞台でステージに乗ることは出来ませんでした…。
 その後、大学進学で上京しましたが、東京都って都大会で普門館を使用させていただいていたのですね!これにはびっくりしました。あの憧れのステージに、東京の中学・高校は都大会で既に乗っているなんて!羨ましい限りです…。でも、大学吹奏楽は違うのか…と残念に思っていたのですが、私が進学した大学は、毎年年末頃に全学部の1年生が『第九』を歌う行事がありました。何とその場所が憧れの普門館だったのです!憧れのステージに合唱で乗ることが出来ました。この大学に進学して良かったと、つくづく思ったものです。
 大学1年の時、私が通った中学校も当時と同じ顧問の指導が実り2度目の全国大会に出場、私は大学吹奏楽連盟加盟校として全国大会のお手伝いをし、普門館で顧問と久しぶりに再開を果たしました。その時の母校の自由曲は『ハーリヤーノシュ』。手伝いの合間で演奏を聴き、厳しかった練習や、全国大会には出れなかった自分たち・先輩・後輩のこれまでがあったから今ここにこうして憧れの黒いステージに母校が乗っているんだな…、と涙があふれてきました。

 そんな顧問が、東日本大震災の前年、若くしてこの世を去ってしまいました。赴任する先々の学校の吹奏楽部を全国大会に連れていき、地域の吹奏楽発展に非常に貢献して下さった先生でした。私たちが憧れた普門館がこの先生の元では『夢』ではなくなったのです。

 先日、普門館の取壊し前の一般公開に楽器を持って行ってきました。黒いステージから見上げる観客席…この景色を、先生と一緒に見たかった。吹奏楽をやっていた人の中で、絶対的シンボルであった『普門館』。これほどまでに『聖地』と呼ばれ、『憧れのステージ』となったホールが他にあるでしょうか。このホールに憧れ、目指した吹奏楽人全ての思いが詰まった『普門館』が取り壊されてなくなってしまうのは残念ですが、これからも私たちの記憶のなかにずっと残っていくことでしょう。

ありがとう、普門館。
Y.Nさん  掲載日:2018/11/12
 2005年の話になります。まだ、私が中学3年生だった頃。。。岡山市に住んでいた私は、吹奏楽に没頭していた、ごく普通の中学生でした。全国大会に出場していた明誠学院の演奏を聴くことがあり、吹奏楽はここまでできるのか!と感動し、志望校になりました。

 翌年、無事入学をすることが出来ました。2006年、1年生の時はB部門で吹奏楽とは?音楽の奏で方とは?などなど、たくさんの勉強をさせてもらいました。2007年、2年生の時は3年連続出場により、中国大会での招待演奏をさせていただきました。2008年、3年生の時は、普門館と幕張メッセを目指し、日々を過ごしていました。が、どちらも中国大会止まりとなってしまい、現役生として普門館の舞台に立つことは叶いませんでした。
 高校を卒業と共に、やりきった思いと共に、吹奏楽からは身を引きました。

 そしてつい先日『普門館からありがとう~吹奏楽の響きたちへ~』が開催されていることを知りました。しかし仕事や用事があり、都合をつけることが出来ず、参加することが叶いませんでした。ついにあの黒光りする舞台を生で見ることもなく、舞台に上がることもなく、普門館は解体されてしまいます。しかし、憧れの普門館であることにかわりありません。
 最近は、吹奏楽に対する熱が再び燃え始めたような気がします。普門館に立つことは2度と叶いません。しかし、普門館という吹奏楽の甲子園があったこと、吹奏楽の楽しさを伝えていくこと、実際に体現することは出来ます。これからも吹奏楽の熱を絶やさぬよう。。。
M.Tさん 掲載日:2018/08/10
 「普門館」を知ったのはいつだったのだろう。それを思い出すことができないほど、私は普門館に立ちたかった。
吹奏楽のさかんな奈良県生駒市で、10歳のときに吹奏楽部に入りサックスを始めた。少し歩けば、全国大会常連の生駒中学校があった。中学生のお姉さんがいる友達の家に遊びに行くと、黒光りの普門館の床の上で演奏する吹奏楽部の写真が飾ってあった。通称「生中」(いこちゅう)が演奏する課題曲や自由曲を定期演奏会で聴くと、小学生の私でも心が震えた。「普門館目指して頑張ろう」という目標をたてたことなんてない。当時の私は「未来の私は普門館に立っているんだ」と、当然のことのように思っていた。
 しかし、普門館には立てなかった。小学校を卒業すると千葉へ引っ越すことが決まり、生中に通うことはできなかったのだ。千葉の中学校でも吹奏楽に情熱を注いだが、県大会止まりだった。普門館に小学校の時の同級生が演奏しに来ても、一度も応援に行かなかった。悔しかった。そのかわり、高校では必ず普門館に立つのだと、たくさんの全国大会常連校の定期演奏会や、学校説明会に足を運んだ。そして、中学校最後の年に、普門館へ全国大会高校の部を聴きに行った。初めて入る普門館。空気、拍手、演奏、言葉にできないほど感動した。

 結果的に、私は高校三年生で一度だけ全国大会に出場した。最後のチャンスだった。出場することが決まった日、小学生のときから目指してきたものがやっと目の前に来たことが信じられなかった。しかし、私が高校生になった年に全国大会の会場は普門館ではなくなった。本当に、普門館は幻になってしまっていたのだ。それでも、高校三年生の10月26日、名古屋国際会議場の舞台から見たあの景色は、私にとっての普門館だった。
 高校を卒業し、音大に進み、大学四年生になった。音楽を一日中学べる大学生活はとても楽しく、充実している毎日だ。しばらく吹奏楽とは離れていたが、先日なんとなく思い立って、普門館に行った。錆びた柵や、ヒビの入った壁が普門館の歴史を物語っていた。今にも壊れそうな普門館の前に座ると、中学三年生のあの日に聴いた数々の名演が聴こえてくるようだった。普門館に憧れて走り続けた9年間を思い出し、また明日からも音楽に没頭しようと改めて思った。22歳になった今でも背中を押してくれた普門館。普門館がなくなってしまっても、初めて普門館に行ったあの日のあの気持ちを私は絶対に忘れない。ありがとう、普門館。
ペンネーム「ちゃん。」さん 掲載日:2018/07/21
 2011年普門館が全国大会で使用される最後の年。私はその場に演奏側としていました。
会場には沢山の吹奏楽ファン、各学校の保護者、そして出演する学生達。その場にいる方々、それぞれ沢山の想いが詰まってた場所だったと思います。
その当時私には、付き合っている彼がいました。彼も他校ではありますが吹奏楽部で共に全国大会出場を決めました。
 『いつか必ず一緒に全国大会に行こうね』これは私たちが付き合った当初から約束をしていました。そして、2011年約束を果たすことができました。
 彼の学校は午前中、私の学校は午後での演奏。正直、演奏中は一生懸命すぎて最後の観客達の「ブラボー」の声が会場中に響き渡っていたことしか覚えていません。
演奏を終え、写真撮影の場所に移った時に沢山の保護者たちが「お疲れ様」と声をかけてくれるなか、私は午前中に演奏を終えているはずの無い彼を探していました。周りは人集りばかり、いないと諦めて楽器を直しに行こうとした時に『お疲れ様すごくよかったよ。』と大好きな彼の声が。振り向くといつもの優しい微笑みがありました。
本当はその場で抱き着きたくてたまりませんでしたが、楽器を持っていたことや周りも沢山いるため流石にできませんでした。ですが付き合っていたことをお互いの顧問以外は知っていたので、先輩や後輩からかなり冷やかしや痛い視線はありましたが、それよりも彼に普門館で会えたという嬉しさの方が勝っていました。
その年彼の学校は銀賞、私の学校は金賞を受賞しました。『来年はお互いまた全国大会出場をして、金賞をとろう』と約束をしました。翌年その約束は果たされることはありませんでしたが、良い思い出です。

 それからしばらく経ち、今はお互い別々の道を歩みました。私は社会人をしながら未だに一般の吹奏楽団で楽器を続けており、彼は楽器のリペアマンになりました。別れてからも私が2、3年程気持ちを引きづっていましたがが、今年良い縁に恵まれ違う方と結婚をしました。現在、彼の方も付き合いが長い彼女がいるみたいです。ですが、彼は未だに忘れられない人でもあります。ですが、彼が幸せになりますようにと心の中で祈りながらも、仕事や家事をしながら、たまに彼との普門館での出来事を思い出してキュンとしています。
 普門館、私にとって甘酸っぱい恋の思い出の場所です。
T.Fさん 掲載日:2018/07/21
 中学2年生の時に初めて普門館で演奏しました。自分の住んでいる地域にはない、とても大きなホールにただ驚くばかりでした。翌年、当然全国大会に行くつもりで挑んだ吹奏楽コンクールは、県大会より先に進めませんでした。皆で涙が枯れるほど泣きました。同級生達と高校で普門館に行こうと励まし合い、7人が同じ高校の吹奏楽部に入りました。
とにかく練習三昧の日々。高校3年生で全国大会へ行くことができた時は、ただただ嬉しかった。
 覚えていることといったら、プログラム3番の為に早起きが辛かったこと、舞台裏の仏像が怖かったこと、くらいなのですけれど。それでも、ひたすら普門館を目指して駆け抜けた中・高校生活でした。

 普門館が与えてくれた、たくさんの楽しい思い出に感謝の気持ちでいっぱいです!
Y.Tさん  掲載日:2018/07/13
 僕が吹奏楽を始めたのは今から5年前の小学四年生からでした。その時はもう名古屋国際会議場でした。しかし、先生に普門館のDVDを見せてもらいそのホールの音の響きが凄くも印象に残っています。普門館は何十年にも吹奏楽の甲子園として全国の吹奏楽部員が目指してきた最高の頂点ですよね!
演奏した人、悔しくてできなかった人
 いろんな思いが普門館にはあるとは思います。でもみんなの心の中には普門館は永遠に残ると思います!本当に普門館にお礼を言いたいです。
Y.Kさん  掲載日:2018/07/13
 私には5歳離れた兄がいます。その兄が中学生になり吹奏楽部に所属し、その部活が毎年全国大会にコマを進めていたので、当時小学生だった私はくっついて毎年普門館へ行っていました!家が愛知県なので「東京の普門館は全国大会までコマを進めて、やっとそのステージに立てるもの!!」という意識が小学生ながらに根付いていきました。そして自分自身が中学生になり、吹奏楽部に入りトランペットを初めて、必死に3年間頑張り、アンサンブルコンテストでは全国大会へ出場できましたが、大編成の部では、あと一歩の所で普門館のステージを踏む事は叶いませんでした…この事で普門館へ行くのは特別な事なのだなと再認識しました。 まだだ!!高校では絶対行きたい!
という想いを胸に、愛知工業大学名電高等学校へ進学しました。そしてついに入学して半年後、その憧れのステージにあがる事ができました!
ステージ袖でドキドキしている時、ステージでは神奈川県の野庭高校が演奏していました!「あの野庭が自分達の直前に演奏している!」と興奮していました。普門館は袖が(も)めちゃくちゃ広くて、演奏前の2校が袖に控えるのです。そして自分達の前の学校は野庭高校、自分達の後は精華女子高校。なので、野庭高校の演奏を精華女子高校と一緒に聞いていたのです!その体験だけで、やっぱり全国大会は凄まじいな…と痛感しました。
そして自分達の演奏…
課題曲、ラメセスⅡ世 自由曲はコープランド作曲、エル・サロン・メヒコ

噂には聞いていましたが、吹いた感じ、聴こえかた、周りの見え方、全て他のホールとは全く違いました!!自分の音だけ跳ね返って聴こえてきて、周りの音が聴こえにくい。どれだけ冷静に演奏できるか問われているような感覚でした。夢のような時間はあっという間にすぎ、無我夢中で人生最良の気分で演奏が終わりました。色々悔しい演奏ではありましたが、結果は無事金賞をいただきました!しかし子供の頃からの憧れであった「ブラボー!!」は曲の性質上か、至らぬ演奏のせいか、いただけませんでした。

 そして2年生になり、また運よく全国大会へ出場させていただける事になりました!
課題曲は交響的譚詩 自由曲はレスピーギ作曲、ローマの祭より
みんなリラックスして、ちょっとやりすぎかなってくらい吹きまくっていました(笑)そして、、曲の性質もあり、ついにスゲー音量の「ブラボー!!!」がいただけました!泣きそうになった…(泣いたかも)金賞も無事いただけました!
「来年もブラボーいただけるようにがんばろう!」と誓いました!!

 そして、3年生になり色々ありましたが、またありがたい事に全国大会へ出場させていただける事になりました!
3度目の普門館での演奏。。横に広~いリハーサル室とか、舞台袖にある、やたら冷たい水飲み場とか、、今後、客で来る事があっても、それらにはもう会う事がないのかな…なんて事をふと思いました。。
そして演奏!!
課題曲は、夢と勇気、憧れ、希望 自由曲はC,T,スミス作曲のフェスティバルバリエーション
冷静と情熱の間のちょうどいい感じの感覚で演奏していたと思います。そんな中、曲の中間部と呼ばれる所で「ジャーーン!!!!」と盛り上がった後、一瞬音が消えるシーンがあるのですが、もちろん「中間部」と呼ばれる所なので、曲はまだまだ続くわけです。

しかし!!!!

なんとここで拍手がきてしまったのです!!
「やべぇ!!」
この瞬間、去年の誓いが頭をよぎりました…
『来年もブラボーいただけるようにがんばろう!』
いやいや!ここでブラボーきたら大変な事だ(笑)←笑えない
しかしその後のバスクラリネットのソロが聞こえたのか、拍手は自然と消えました。。あんなに欲しかった「ブラボー!」をこんなに怯える日がくるとは… そしてなんとか演奏を終えた時に、今度は最高にありがたい「ブラボー!!」を沢山いただきました!なんとか金賞もいただきました。その後、「フェスティバルバリエーション拍手事件」として、わりと有名な事件になりました。。
 この時に指揮を振っていた先生は「拍手がきたのは、わしの指揮のせいじゃな」とおっしゃって、次にフェスティバルバリエーションをやる時には、振り方が変わり、演奏も拍手が自然とこない演奏になりました。その謙虚な姿勢、今でもずっと尊敬しています。このような様々な思い出を作ってくれたのは本当に本当に普門館です!!
あそこを目指し全国の中高生が必死に努力した事、どれだけの人の財産になっていることか計り知れません。

 今お話させていただいた高校時代、3年間共にそのステージを踏んだバストロンボーンの親友と、夏休みにでも普門館を見に行こうと話しています。中は見られないとは思いますが、外からでももう一度見ておきたいのです。

 長くなりましたが、本当に本当に普門館、、沢山の名演、思い出をありがとう!!!!お疲れ様でした。
K.Wさん  掲載日:2018/07/13
 大学の吹奏楽部団で一年、クラリネット担当、都大会で普門館。クラリネットの人数が少なくて、当時の先生が提案して、クラリネットパート各自で携帯出来る反響板を作成し使用しました。50センチ四方のベニヤ板二枚をガムテープで貼り、普門館のステージ同様に漆黒に塗りました。結果は銀賞で、良い思い出です。
K.Wさん  掲載日:2018/07/09
高校3年間、普門館のステージに北海道地区代表として立つことが出来ました。
1年の時は銀、2年の時は銅、3年の時に金を取りました。
かなり上の先輩の代から普門館に毎年行くという命題が課せらていたこともありかなりのプレッシャーがかかってましたが何とか3年間立つことが出来ました。そして後輩たちも会場が変わった今でもその伝統を守り続けてくれています。3年の時は部長だったので授与式のステージ上で審査結果を聞くことになりゴールド!と聞いたときの景色は今でも脳裏に焼き付いてます。
あの大きなホールと独特な雰囲気は今でも忘れません。
高校3年間の全てを費やした空間でした。
解体はかなり寂しいですが普門館を目指して毎日練習に明け暮れた人達の思いはいつまでも残ると思います。
K.Yさん  掲載日:2018/07/09
中高6年間小編成でそもそもあの舞台に立つ資格が無かったが毎年4月にはあの舞台に登るためにたくさん勧誘をした記憶が一番大きい!
学生時代はあの舞台に立つ自分たちの夢も見ました。笑
 

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