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ありがとう普門館 - 出雲市立第一中学校/出雲北陵中学高校吹奏楽部顧問  原田 実先生

「忘れ得ぬ、2004年の普門館【2】」原田実先生

出雲市立第一中学校といえば数々の名演で普門館を沸かせた名門バンドですが、とりわけ2004年、本番直前に地震に見舞われながらも素晴らしい音楽を披露した名演は語り草になっています。そんなステージの知られざる舞台裏をご紹介します。
「忘れ得ぬ、2004年の普門館」(1)はコチラ
「忘れ得ぬ、2004年の普門館【2】」原田実先生

伝説の名演誕生!

 

生徒たちには動揺や戸惑いもある。どうすれば良い演奏が出来るか、と不安を抱えつつ入場しました。 その時でした。入場と同時に思いもよらない大きな大きな拍手が。驚きました。コンクールの入場で拍手というのは異例中の異例です。この拍手は本当に温かかったです。私も生徒も落ち着くことができ、とても良い精神状態で演奏に入れました。生徒たちの表情が本当に良かったことを覚えています。

 最初こそやや硬かったものの、徐々にいつも通りの演奏になり、とても満足のいく音楽が出来たと思っています。そして演奏後にも、ふたたび大きな拍手が。もちろん嬉しかったですが、とにかく演奏を終えられてホッとしたのを覚えています。この時の普門館の温かさは忘れられません。最初のセッティング時はガチガチの状態でしたので、むしろあのまま演奏していたらどうなっていたか…。

 

 私にとっても生徒たちにとっても一生忘れられない経験になりました。その後、地震の全容を知りました。私たちは演奏出来ただけでも幸運だったのだと思いました。

 

原田先生にとって普門館とは―

 学生の頃は出雲一中、出雲高校で吹奏楽をしました。一中時代には、片寄哲夫先生、渡部修明先生という偉大な先生方のご指導のもと、1967年にトッカータとフーガで全国1位。翌年は全国3位という経験をさせてもらいました。ですがその頃の会場は全国持ち回りで、普門館ではありませんでした。普門館に初めて入ったのは教員になってからです。客席からホールを見渡して、あまりの広さに驚きました。その後、母校を率いて初めて普門館のステージに立つことになりましたが、ステージから見るホールは、むしろ広すぎて大きさの実感がわきませんでした。

 他団体の演奏にも衝撃を受けました。どのバンドも凄かったですが、それぞれに個性があったように思います。普門館という特別なホールが、考え方の違いやアプローチの違いを生み、各校の個性を際立たせていたのではないでしょうか。とりわけ土気中学校の「音の鳴り」と宝梅中学校の「美しさ」には驚きました。この2校の音楽は、その後の自身の音作りの上でひとつの指針となったように思います。

 私自身は、普門館対策として特別気を付けたことはあまりないのですが、ひとつ意識していたのは「メリハリ」と「輪郭」。客席に届けるために輪郭をはっきりさせるという事は必要だと感じていました。そうしたことを含め、いつ出場しても毎回新たな気付きや課題を得られる場所でした。幸運なことに何度も立たせてもらいましたが、ずっと憧れの場所でした。

エピローグ

2011年、最後となった普門館に、原田先生は出雲北陵高校を指揮して出場していた(ちなみに北陵高校着任時の部長は2004年を共にした一中出身の生徒さん)。この2011年と2004年をつなぐエピソードがある。2004年時のドラム奏者・梶田康広さんの弟・泰史さんが2011年のメンバーだったのだ。

 泰史さんは2004年当時小学校4年生。管楽器はやっていなかったが、地震時のことを含め普門館での経験を兄や父から聞くうち、中学校では吹奏楽をやると心に決めていた。兄と同じく一中に入学し、2年生時に普門館を経験。3年生時は三出により普門館を目指すことはかなわず、高校では原田先生のもとで再び普門館を目指したいと2010年に北陵高校に進学した。

 原田先生と北陵高校は、着任した2007年から普門館に連続出場したが、09年、10年は全国大会を惜しくも逃し、少し行き詰まりを感じていた。

 迎えた2011年。この年も自由曲選びは難航していた。ふと前年の中国大会で、ある高校が「ローマの松」を演奏していたことを思い出す。原田先生の学生時代に流行った好きな曲だったが、「コンクールレパートリーとしてはもう古い」という認識で演奏されることはまれだった。しばらく逡巡したが、演奏を決意。そして見事全国大会へ進出、原田先生と北陵高校コンビによる初の全国大会金賞をもたらした(翌年のエルザも話題に。「いつかみんなとやりたい」と温めていた曲で、コンクールで演奏するつもりではなかったが、思い切って選曲したそう)。

 

 泰史さんは高校卒業後、楽器修理を学び、リペアマンとして市内の楽器店に勤務(アツタ楽器。同店には2004年の一中メンバーも2名いらっしゃるそう。)後輩たちのサポートにあたっている。 また、兄・康広さんも、音楽教員となり県内の中学校で吹奏楽部の指導にあたる。2004年の入場時の温かい拍手、演奏後のブラボー、大きな拍手は一生忘れられないと語る。(ちなみに、自由曲のドラムについては「苦戦した」どころではなく、「全く歯が立たず愕然とした」そう。2003年に同曲を演奏した駒澤大学高校のDVDを何度も何度も繰り返し見ながら練習し、克服したとのこと。)

 普門館を目指す過程で得たものを後輩たちに還元すべく、それぞれの立場で奮闘の日々を送っている。



原田 実先生 出雲市立第一中学校/出雲北陵中学高等学校顧問

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