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『普門館よ永遠に!』 - 元宝塚市立宝梅中学校・現宝塚市立中山五月台中学校 渡辺秀之先生

『普門館よ永遠に!』 - 元宝塚市立宝梅中学校・現宝塚市立中山五月台中学校 渡辺秀之先生

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普門館では、限りなく、果てしなく、美しく、素晴らしい想い出を創ることが出来ました。
『普門館よ永遠に!』 - 元宝塚市立宝梅中学校・現宝塚市立中山五月台中学校 渡辺秀之先生

プロローグ

 

私が初めて手にした楽器がヴァイオリン~そして15歳の時にオーボエに出会った。

高校、大学時代はオーボエのソロ・室内楽・管弦楽に一生懸命で、吹奏楽コンクールには出たこともなければ「普門館」という存在すら知りませんでした。

そんな私が中学校の教師になり、学級担任や音楽授業はもちろん、吹奏楽部の顧問も任されることになったわけです。

赴任校は他校と合同バンドを組んで演奏会に出演するなど、小規模なバンドが活動していた宝塚市立宝梅中学校という学校でした。

        

1年目・・・「音楽が大好き」という純真な部員と共にコツコツと練習を進めていったところ、返り咲き部員・帰宅部生徒・転部生徒・新入生部員など、気がつけば20名程の部員を擁する部になっていました。

2年目・・・25名以内という規定の小編成(B部門)でしたが、いわゆる夏のコンクール(多分、初出場だったと思います)に出場をしたところ、西阪神大会・兵庫県大会共に「金賞・最優秀グランプリ」という思いもよらない結果をいただいたのです。

若かりし私は調子にのって「次は全国大会だぁ~!」と夢の夢のまたまた夢の目標を思わず口にしてしまったのです。しかし、「先生、全国大会ってどんなところで行われているのですか?」という質問に答えられるはずもありません。会場ぐらいは見ておかなければと全国大会が行われる『普門館』をはじめて訪れました。今、振り返っても、その時の感動が私の人生を決めたと言っても過言ではありません。私の「全国へ行くぞ!」という突拍子もない発言が小学校にまで伝わったでしょうか、3年目の春には、2・3年生が16名、新入部員が60名という部活になってしまいました。

 

エピソードPART Ⅰ

音楽大学在学中に「西宮市の今津中学校が凄く上手いんだ」という話や東京の豊島区立第十中学校、奈良の天理高校、福岡の響南中学校など、全国大会の演奏をレコードで聴かせてもらったことはありました。

それらの演奏が響いた普門館に初めて訪れたのですが、インパクトのある円形の建築物など、その存在感は私を惹きつけるに十分過ぎる力を持っていました。

そして、もう一つ!

さらなる大きな感動を与えてくれたのが、屋比久先生率いる沖縄県の石田中学校吹奏楽の部員さんでした。普門館の前に整列している部員さんの表情を見たときの感動は紛れのない衝撃で、今でいう「半端ない!」だったのです。普門館への貴い憧れは、中学生一人一人の心を育て、チームとしての成長を形成させようとする「人間力」の高まりに直結するのでしょう。普門館は私の生涯にわたるエネルギーにもなりましたが、吹奏楽に興味を持った何千、何万、何十万の生徒達にも生涯にわたるエネルギーを与えて来たのだと思います。

「何が何でも自分の生徒達をここに連れて来てやりたい! 一緒に来たい!」

 

エピソードPART Ⅱ

普門館は大きい。 最後列の座席までどれだけの距離があるのでしょう。2階席から3階席、さらに天井は天のように高い。照明は美しい銀河のような広がりを魅せていました。ステージの間口は35mくらいあったでしょうか?大きなホールでも間口は25m程度ですから相当に広い間口です。ステージの裏には大仏様もおられました。

教師5年目・・・私の突拍子もない発言は遂に実現してしまったのです。

全国大会に生徒達を連れて一緒に出場できたのです。

初出場の自由曲は 『ダッタン人の踊り』。初めての想い出は強く記憶に残るものです。

チューニング室までの迷路のような果てしない道のりを歩くと、漸く細長いチューニングルームに到着。 廊下で靴を脱いで入っていく部屋。チューニングしている途中、部員達が泣きだしたのです。「憧れの普門館でチューニングをしている」「夢じゃない現実なんだ」そんな空気を感じ過ぎたのでしょう。おいおいと泣いてしまった生徒達。横隔膜の支えも失い、演奏できる状態にはありませんでした。しかし、チューニング室からステージまでの長かった普門館ならではの道のりに助けられたのか、何とか落ち着きを取り戻すことが出来たのです。

プログラム7番…結果は「銅賞」。やっぱり泣いたせいかなぁ?

でも、前年までの全国大会には「金賞」と「銀賞」しかなかったのに何で今年から…??

2回目の「普門館」。プログラム2番、自由曲は『シチリア島の夕べの祈り』。誰も泣いていませんでしたが結果は同じく「銅賞」。

そして翌年。「3度目の正直」と意気込んで部員達は頑張りました。でも「2度あることは3度ある」という心に突き刺さる励ましの名アドバイス。プログラム3番・・・『運命の力』では心に突き刺さる名アドバイスによってヤッター「銀賞!」…。

 

偉大な「普門館」に翻弄された3年間。その3年間があったからこそ、4回目の出場となる1986年から8回目の出場となる1990年までの全国大会で“5年連続金賞”というビックなプレゼントをいただくことが出来たのだと思います。5金の翌年には普門館での特別演奏ステージがありました。私がマイクを持ち、5年間の追憶トークを交えながら、「ロマネスク」「セント・アンソニー・ヴァリエーション」「歌劇『ローエングリン』より『エルザの大聖堂への行列』」を演奏させていただき、「普門館もなかなか可愛いもんじゃないか(笑!!)」と普門館の独特の響きを楽しませていただきました。

1階席の遠く後方まで響いた音がステージまで反射して指揮者を包んでくれる。独特な響きと言えるでしょうが、演奏がしにくいと思ったことはありません。色んな意見がありますが、私は「普門館」の響きが好きでした。あの何とも言えない響きをもう味わえないかと思うと…いや、今後、吹奏楽に携わる子供たちに味わってもらえる機会がなくなってしまうことを思うと、限りなく寂しく、悲しいです。

 

エピローグ

普門館では、限りなく、果てしなく、美しく、素晴らしい想い出を創ることが出来ました。

19回の普門館ステージ。初めて訪れたとき思い描いた「部員を連れてきてやりたい。一緒に来たい」という夢を快く叶え、部員達を感動の世界に導いてくれた「普門館」。感謝をしても仕切れません。

「耐震」と理解はしても「普門館」が永遠であり続けて欲しいという願いが勝ってしまうのは私だけではないと思います。歴史は刻々と流れ、今では名古屋国際会議場「センチュリーホール」が全国大会会場として定着しつつあります。現在指導している宝塚市立中山五月台中学校も、今年で7回目の演奏経験をさせていただき、普門館に負けない感動と想い出で生徒を包んでくれています。

これらを大切にすることが、普門館が存在した意味、吹奏楽界の大きな意義に結びつくのだろうと思います。

『普門館よ永遠に!』

元宝塚市立宝梅中学校・現宝塚市立中山五月台中学校 渡辺秀之先生

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