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「音楽教師、最後の10年」 元・埼玉県立川越高校音楽部ー吉田寛先生

「音楽教師、最後の10年」:吉田 寛 先生 最終回 『エピローグ』

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最後の10年、その続き。

 

 2015年4月1日、退職翌日。起床は朝5時40分。今日から主夫業の開始だ。
 家事全般すべてやろう。人生の後半は家族の役に立とう―。買い物に出ると、河原にはシートを敷いて花見をしている人たちがたくさんいた。春休みも毎朝部活に出かけていた私にとって、驚きの光景だった。世の中にはこんなにのんびりした時間が流れていたんだ。

 
 川越高校の若いOBが、私のために小さなOB合唱団を作ってくれた。あまりにも暇な生活は可哀想と思ったのかもしれない。これが唯一の音楽活動だった。

 
 衰えた体力回復のためにたまにジムに通い、猫の額ほどの庭にきゅうりとゴーヤを植えた。あまり上手く育たないが、収穫は楽しい。


 そんな生活が続いていた7月半ば、妻(松山女子高音楽部顧問)から、「コンクールの練習を手伝って」と声がかかった。聞けばラテン語の課題曲とロシア語の自由曲らしい。私の苦手な外国語の上、音楽室にぎっしりの女子高校生。想像するだに恐ろしい。私に何かできることがあるのだろうか?

 不安に思いつつ練習を見に行った。課題曲の第一声を聴く。「うわぁ、汚い。母音がひどすぎる。」私にもやれることがあるかもしれない。


 指揮をしていると聴き逃してしまう演奏の欠点も、指揮者の隣で聴いていると気が付く。しばしば指揮と聴き役を交代したりもする。妻とは音楽の感性が似通っているが、様々な要素に分けると感度に違いがあり、お互いの音楽を尊重し補完できる。(とはいえ、頼まれた時しか指導には行かないし、あくまでも無償のお手伝いであって、自分の音楽を押し付けることはしない。)


 この年、全国大会当日までで30日も通った。松女はトントン拍子に進み、なんと全国大会金賞。松女にとって2回目の全国大会で初の金賞受賞。生徒たちに感謝されたが、私にとっても果たせなかった夢が思わぬ形で叶ったのだ。生徒たちに感謝の気持ちを伝えた。以降、夏のコンクールだけでなく、SVEC(埼玉県ヴォーカルアンサンブルコンテスト)、東京都主催の春コンの指導、新入部員への呼吸や発声等のレクチャーも請け負うことになった。


 少し本題から逸れるが、実は練習のサポートだけでなく、「練習の留守を預かる」ことも度々ある。


 松女は女子高生の集団だ(それも100人を越える)。当然、ぶつかり合う。今年の合宿は穏やかだったが、過去3年間の合宿は、ぶつかってはミーティング、の連続だった。このミーティングは妻だけではなく副顧問も動員され、徹底的に行われる。合宿の練習時間の半分以上を費やすことも珍しくない。そこに参加しないメンバーの練習を私がみているのだ。
 しかし、このミーティングこそが松女の強さであると私は思っている。禍根を残さず、本当に気持ちを一つにする事が必要であるし、人間として何が大切なのかを知る絶好の機会でもあるのだ。昨年は県のコンクールの次の日から練習を一切せず、全体のミーティングが5日間続いたこともあった。それだけ心を通わせることを大切にしているのだ。軍隊式のピリピリしたムードは一切ない。明るく和やかな雰囲気の中で活動できているのはそういう「本当の信頼関係」に重きを置く指導の積み重ねのおかげではないかと思う。


 さて、本題に戻ろう。私が松女に通い始めて2年目、コンクールのお手伝いとして通ったのは全国大会当日までで45日だった。ずいぶん増えた。年間だと70日以上にもなっている。嬉しいことに全国1位、文部科学大臣賞をいただくことが出来た。

 本番翌日、地元に帰る朝のミーティングで、私は生徒にこんな話をした。

 「私は退職をしてから主夫業を嫌がらずにやっています。そして縁あって松女の指導に関わることになりました。妻のために一生懸命にお手伝いをしていますが、最近、自分の生きる意味についてこれまで考えもしなかったことを考えるようになりました。生まれてから60年の私の人生は、キャンバスの中心に常に自分を置いて描いていました。音楽の道に進み、高校の音楽教師になったこともそうですし、もっと私的な、恋愛などでもそうでした。ところが、妻のお手伝いとしての役割に徹すると、関東1位、全国金、全国1位とトントン拍子に事が運び、妻がどんどん輝いていきました。ひょっとすると、私は妻のために用意された人間だったのではないか?と考えるようになったのです。それならそれで、自分ができることは何でもやってあげよう、黒子として最大限の協力をしよう、と今では思っています。これからも皆さんのお手伝いをさせてください。」


 妻は家に帰るのがとても遅い。出来るだけ早く帰ってきてほしいが、その代わりに私が妻に会いに行っているような? こんな生活がもうしばらく続いてゆくのだろう。人間を育てることを常に考えている妻の仕事の、ほんの一部分だが手助け出来る事を、今後の人生の楽しみとして味わっていこうと考えている。


 私が松女に行き始めたとき1年生だった生徒たちは、2年連続の全国金賞というプレッシャーを乗り越え、3年間、コンテスト・コンクールすべてで金賞を取り卒業していった。4年連続に挑みコンクール真只中の今の3年生は、どれほどのプレッシャー、ストレスを抱えているだろう。毎日見る笑顔からは想像できないのだが・・・。


 自分史的な気持ちで書き始めた文章でしたが、思いがけず多くの人に読んでいただく機会を得ることとなり、少しでも困っている誰かの役に立ったなら嬉しいなぁと思っています。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

2018年8月


 

 ―エピローグのエピローグ―
 脱稿後の9月22日。全国大会への出場が決まった。
例によって順調ではなかった道のりを少しご紹介して、このコラムを本当に終えたいと思います。


 埼玉県合唱コンクールでは第1位、初めての知事賞もいただいた。実は今の3年生は、1年生時に3チームにわかれ出場したSVECで、金、銀、銅という結果だった。先輩たちと比べて自分たちは下手なんだ、ダメな学年なんだと思い込み、落ち込んだ時期があった。(その後東京都の「春コン」にその学年だけで出場し総合1位をいただき、ようやく自信を持つことができた)そんな彼女たちの成長が嬉しかった。


 ところが、そう順調に事は運ばない。関東大会4日前になり、3年生の間に問題発生。1日半かけて3年生と顧問、副顧問を含めてミーティング。(もちろん1、2年生の練習は私がみるのだ。)ミーティングのおかげで、誰も辞めることなく全員で歌った関東大会で2位金賞をいただき、何とか全国大会への出場が決まったのだった。


 楽譜から出てくる音楽を聴くと、私も妻も、こう歌わせたい、表現したいという思いがこみ上げてくる。時には楽譜に書かれてある内容から逸脱してもその気持ちを優先させてしまうこともある。コンクールには不向きな感情なのかもしれない。


 全国大会に向けて、さらに磨きをかけていきたい。生徒はまだまだ伸びるのだから、自分たちが出来る一番良い音楽をめざして努力を重ねたい。それは歌う生徒たちにとっても、聴いてくださる人達にとっても心豊かな時間となるはずだから。

元・埼玉県立川越高校音楽部ー吉田寛先生

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