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詩人:高野民雄先生と作曲家:森山至貴先生による対談が実現しました。

高野民雄先生・森山至貴先生対談

「高野民雄×森山至貴」:混声合唱組曲「太陽と海と季節が」。各地で再演が決定するなど発売前から話題になっていますが、この作品を生み出した詩人:高野民雄先生と作曲家:森山至貴先生による対談が実現しました。作品に込められた想いとは―

―お忙しいところお時間頂き有難うございます。混声合唱組曲「太陽と海と季節が」について、お二人に伺っていきたいと思います。宜しくお願いします。

高野・森山:宜しくお願いします。

 
朗読される前提の詩。

―ではまず作詩の高野先生、今回の詩を書かれた経緯は?

高野:詩は高校生のころから書いていたのですが、今回の作品は、もともと、昔のNHKラジオ第一放送の「夢のハーモニー」という番組のために書いたものなんです。この番組は、当時その日の夜の一番最後の番組で、平日は静かな器楽曲が流れるだけなのですが、土曜と日曜の夜には、それをBGMとして詩の朗読が入るというものでした。そのころ詩の同人誌を一緒にやっていた山本道子さんの紹介で始め、足掛け7年ほど続けていました。

―朗読される前提で書かれていたというのは面白いですね。

高野:そうですね。やはり朗読ということなので、ことば選びは慎重にしましたね。耳で聞いてパッとわからないといけませんから。それと、番組の中では始めと終わりの方と、パートが分かれる構成でしたから、同じ詩を繰り返すのではなく、後の方では、テーマをリフレインして、展開を変えて、歌詞の一番と二番のようにしたりというような工夫をしました。
森山:双子のようなものが2つにあわさっていたわけですね。
高野:ええ。ただ詩集として出すときにひとつにまとめました。ずいぶん直しましたね。
森山:なるほど。その双子のようなものが整理されて一つの詩になったんですね。もともとの詩にも興味がありますね。

 
入試問題が二人を結びつける?!

―では森山先生、この詩との出会いは?普段はどのように詩を探されるのですか?

森山:普段は本屋さんで探します。大きな書店でひたすら詩集のページをめくるなんてこともあります。現代詩も好きで、合唱にはならないないぁと思いながら、読んで楽しんだりしつつ。

―では今回も書店で出会って?

森山:いえ、今回は違います。たぶん壮大なネタばらしになると思うんですけども、若い人向けの曲って、相応しいテキストを見つける作業がかなり難関で、国語の教科書なんかよくネタ元になるんです。でもだいたい教科書に載っている詩は多くの方が作曲している。それで、国語の参考書なんかも片端から見るんですけどそれでもなかなか無い。そして次に僕が思いついたのが、高校の入試問題でした。過去問集を眺めつつ探していたところ高野さんの詩に出会いました。

―入試問題とは…ここはオフレコですね?(笑)

森山:いえ、もうその分野はあらかた発掘し尽くしましたね。もうないと思います。(笑)

―ちなみに入試問題に採用された経緯は、高野先生はご存じなのですか?

高野:入試問題になったことは、後になって、過去問集を出す出版社から許諾を求められたときに初めて知りました。誰がどうして問題にとりあげてくれたかはわかりません。どうしてでしょうね?(笑)
森山:実は担当の方がラジオのリスナーだったなんてこともあるかもしれませんね(笑)


 

この曲をどんな構成にしたらいいのかは、最初から詩の中にあった。

―こうして詩と出会い、いざ作曲。どのように詩と向き合われたのですか?

森山:さきほど詩が生まれた経緯を伺って色々な事に合点がいったのですが、高野さんの詩からは、作曲のガイドラインみたいなものが見えてきたんです。対句のような技法が無く散文的に続くような詩だと『8小節分のメロディがあって次に移ってまた8小節』みたいなことをしたいときでも、テキストが全然そんなことを意識していないのですんなりいかない。これは詩人と作曲家が相見える時にいつも起こる問題だと思います。ふつう詩人は8小節なんて考えていないですよね。ですが今回の場合は「太陽と海と季節が」でも同じフレーズが2回あったり、例えば「林の中を風と歩く」でも対の構成がわかりやすかったりして、こういうところを見ていくと、どういう構成の曲にすればいいのかっていうのが、最初から詩の中にあるような感じがしましたね。それを探して曲にしていく、骨格を読み取りながら作曲していく、というか。

―なるほど。次に構成についてですが、詩集の中から今回の4編を選び、この順番で組まれたというのは?

森山:わたしは作曲という行為のなかで、組曲の構成を考えるところが一番好きなんです。詩の順番をああでもないこうでもないと言いながら構成するのは楽しい。今回もそうして楽しみつつ、じっくり読み込む中で自然とこうなりましたね。この楽しい作業のあとは、もう、完成まで苦労しかないです(笑)。
高野:いやこの組曲の構成はうまいなぁと思いました。ほんとうに上手く構成してくれてるなぁと。今回の詩の選択ならこの順番以外はありえないというくらいに。

 
誰にとっても自分事になる普遍性

―混声合唱作品の作曲にあたって、男声・女声の割振りがあると思うんですが、その点に関してはどうされたのですか?

森山:たぶん、ぼくは他の作曲家の方に比べて、テキストのこの部分は男声がいい、ここは女声がいいっていう発想はなくて、その度に聞こえてくる声の違いが出ればいいなぁと思うくらいで。特定のフレーズを特定の属性を持つ人にあてはめたいという欲求はないのでそんなに性別などは気にせず、割と誰がどういう風に歌ってもいいといつも思っています。もちろん全パートが常に歌っているわけにいかないので主役が交代したり、みんなで歌ったり少ない人数で歌ったりはありますけど、それ自体に過剰に意味を与えたくないのはありますね。
高野:なるほどね。いいですね。僕も詩を書くときに、主人公を特定したくないというのはあって、一人称を私(わたくし)で統一しようと決めているんです。「私」というのは、読む人それぞれの「私」。ほかにもたとえば「海」は太平洋も日本海でもなく「海」なんですよね。私の詩には、どなたにとっても自分事になり得る普遍性を持ってほしいなというのがあるので、今のお話はとても共感できます。考えてみたらば、これらの詩の元の形を書いたのは、今の森山さんの年令くらいのときでしたね。不思議な気がします。

 
誰もが歌う喜びを感じられる曲として

―では、最後にこれから歌われる方へのメッセージをお願いします。

高野:ぼくがひとつ本当に思っているのは、みんなで一緒に大声で歌うことが恥ずかしくない。そんな歌になって欲しいと思いますね。歌って時に様々な思想を反映したり、意思の統一に利用されたりってことがあるじゃないですか。過剰にいろいろな目的を持ってしまったり。例えば、我々の学生時代に学生運動なんかで歌った歌は、いつでもだれでも歌えるものではない。そうではなく要するに自分たちが生きている世界で、単純に大声出して、歌う。喜んで、歌う。というね。

―年代も背景も何も問わずということですね。歌う人の背景とかを抜きにして。詩も読む人の年齢によって味わい方は違いますけど全員が言葉としては共有できますよね。

高野:そうですね。普遍的に誰もが歌う喜びを感じられる曲として歌い広められて欲しい。

―では森山先生。

森山:たぶんどんな方が歌っても歯ごたえのある曲だと思うんですね。楽譜を見ていきなり素直に歌えるタイプの曲ではないですが、しっくりくるまで何回も反芻してもらって腑に落ちたときにやっとわかるメロディも多いので、その瞬間を待って楽しんでもらいたいっていうのはありますね。

―素直じゃないですよね。コード進行は(笑)。

森山:そうなんです。特にコードに関して言えば、定型の進行は私にとって単純さの象徴で。詩って単純じゃないし歌も単純じゃないし、もっと色んな物を色んな人が歌に込められる余地を残すには、むしろもう少し踏み込んだ複雑さみたいなものが欲しいなといつも思っていて、それを楽しんでほしいというのはありますね。ただそんなに難しい曲を書いているというわけではないので、尻込みしないでもらって。あとは、そもそもの委嘱の意図としては若い人向けとなっていましたが、初演をしていただいた鈴優会さんは若い方だけが主体の合唱団ではなくて、結構年齢の高い方も所属していて格調の高い音楽性が特徴なので、そこを念頭に作曲をしていったら、当初のもくろみから良い方にはずれて、かなり広い世代の人に歌ってもらえる曲になりました。働き盛りの人、中学生、当然それぞれ違った声になるだろうし、混ざって歌ってもきっと良い経験になるでしょうし、様々な方に歌って楽しんでもらえればと思います。

―最後に

高野:実は、いつかこの詩が歌になったらなというのはぼくのこころに秘めた長年の夢だったんですよね。ですから今回は森山先生に見つけて頂いてこういう形になってとても嬉しいんです。初演も本当に素敵で鈴優会のみなさんにも感謝しています。
森山:そうだったんですか。光栄です。鈴優会さん、名島啓太先生、太田由美子先生には本当に良い初演をして頂いたので、これからより多くの方に歌っていただきたいと思います。

―こうしてお話を伺ってきましたが、通じる部分の多い、本当に出会うべくして出会ったお二人だという気がします。どんな人にも、永く愛される歌になって欲しいと思います。今日は有難うございました。

高野・森山:有難うございました。

 
 

高野 民雄(たかの・たみお)プロフィール

1938(昭和13)年 8月 千葉市で生れる
1945(昭和20)年 4月 千葉市立富士見国民学校入学
同年 7月 生家は米軍の爆撃により焼失
1954(昭和29)年 4月 千葉県立千葉第一高等学校入学(現在の千葉高)
同年同校の文学クラブに入り、当時3年生の天沢退二郎に会い、詩作を始める
1957(昭和32)年 4月 早稲田大学第一文学部文学部(仏文専修)入学
同級の鈴木志郎康と詩誌「青鰐」を創刊、3年生から卒業まで、月刊で24号を発行する
1961(昭和36)年 4月 (株)博報堂入社 以後30年間TVCMの企画制作に従事
同年6月 秋元潔、天沢退二郎、彦坂紹男、渡辺武信らと詩誌「×(バッテン)」創刊
(「×」は、のちに鈴木志郎康、山本道子、菅谷規矩雄、金井美恵子らも加わり、「凶区」と題名を改めて、1970(昭和45)年3月まで続いた)
1969(昭和44)年
~1976(昭和51)年
5月
1月
NHKラジオ第一放送「夢のハーモニー」に構成作者として朗読詩を書く
1998(平成10)年 9月 ㈱博報堂を定年退職

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