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投稿エピソード#28

福岡第一高等学校 片岡寛晶さん(Timp.)/吹奏楽って、本当に素晴らしいものです!

2020年9月3日

当時の福岡第一高校吹奏楽部について

福岡第一高校吹奏楽部は、スケールやエチュード、ソロ曲などに取り組み、個人技を磨くことに時間を割いていました。
当時部員は50名ほどでしたので、殆どのメンバーがコンクールのステージに立ち、時には一年生がソロを担当する事も珍しくなかったように思います。

毎年、あと一歩のところで九州代表を逃し、悔し涙をこぼしていた私たちは、高校生活最後に、何としてもあの黒いステージ(普門館)で演奏してみたいと夢見ておりました。
この年は、福岡工業大学附属城東高校が三年連続出場で休みということもあり、チャンスかもしれないと、部員たちは闘志を燃やし日々の活動に勤んでおりました。

私たちが最上級生になり新体制となったタイミングで、これまで顧問をされていた松澤 洋先生からバトンを受け、清水万敬先生がバンドの新たな指揮者に就任されました。清水先生はプロのホルン演奏家として活躍されていましたが、コンクールで指揮をされるのは初めての事で、練習の時から、その重圧を大変に感じておられました。
清水先生のご指導は基本的な事は勿論のこと、重箱の角をつつくような細かい要求が多く、その妥協しない音楽作りを学ばせて頂く中で、部員の力不足により、先生の言葉になかなか応えることが出来ない時もあり、葛藤の日々でした。
九州大会前は体力、精神面においても辛く、バンドも伸び悩み、なかなか気持ちが一つに纏まりませんでしたが、そんな時にも、清水先生が部員に寄り添い、私たちに励ましの言葉をかけてくださった事で、幾度となく勇気づけられました。

あともう一つ、これは余談ですが、県大会の直前(2日ほど前)に高校野球の応援で金管メンバーが吹きすぎてしまい、口の調子が戻らないままコンクール本番を迎えていたそうです。
今思えば、どんなことでも根性で乗り切れていました。

あれから20年…
今も音楽に携わっている私が直に感じる事として、あの頃の福岡第一高校は、フルート群を中心に倍音が美しく響き合う透明感のあるTuttiサウンドが特徴的で、決して分厚い音ではなく、強奏時も煩くならないよう響きをコントロールできるバンドでした。

 

自由曲「赤い花」について

福岡第一高校では、顧問の先生方をはじめ、元 東京佼成ウインドオーケストラの仲田 守氏にもアドバイスを賜り、選曲にご協力頂いておりました。いずれも仲田氏の編曲によるもので、一年生の時には、ラヴェル作曲の【道化師の朝の歌】、二年生では、バルトーク作曲の【中国の不思議な役人】に取り組んできました。コンクールの候補曲は、常に高いテクニックを要する作品ばかりでしたので、私たちが高校最後の年も技巧的な曲になるのではないかと思っていましたが、グリエール作曲の【赤い花】は、まさかの変化球!これまでとは違う系統の作品に決まり、とても驚いたのを今でも記憶しております。美しく響き合うハーモニーはとても新鮮で親しみやすく、練習を進めていく中で、部員全員のお気に入りの作品となりました。

 

本番時のエピソード

打楽器の量に対してサポートメンバーが2~3人と少なく(部員がいなかったので)、ハープ、チェレスタ、ティンパニ、マリンバなど、大物楽器を運ぶのに苦労しました。アナウンスが終わっても楽器のセッティングが終わっておらず、慣れないステージということもあり大慌てで準備をしました。
普門館に合わせた音作りに取り組んできた甲斐があって、本番ではホールの響きを味わいながら、何の不安もなく演奏に集中することができました。支部、県、九州、全国と4回の本番の中で、全国大会が最もベストだったと思います。

ただ、ちょっとしたハプニングも!
録音を聞けばわかるのですが、赤い花のワルツの最後(弱奏部)でガシャン!と、大きな物音がします。サックスのスタンドのネジが緩んで倒れてしまい、楽器を守りながら床に置き、難を逃れたと、後日、同級生が話してくれました。

もう一つエピソードを…
今でも忘れられないのですが、出演順が後半の最後から2番目で、演奏後の打楽器の梱包では人手不足により時間がかかってしまい、全員が結果発表に間に合わず、やむを得ず三年生と数名のメンバーだけ、会場内に聞きに行きました。
「ゴールド金賞!」と言われたのですが、大した歓声も起きず、あっさりと感動の瞬間が過ぎていきました。

 

メンバーのその後

現在、プロのオーケストラ団員、ソリスト、楽器の講師として後進の育成に力を注いでいるものが数名おります。中には楽器をやめてしまった人もいますが、当時の話をすれば、高校時代に気持ちが若返り、音楽を通じていつも仲間の事を身近に感じています。
自身の事で恐縮ですが、このメンバーの中で、全国大会に出場して最も影響を受けた人物はきっとこの私、片岡 寛晶だと思います。コンクールに出場する意味、表現するという事、吹奏楽の発展、大切な仲間との絆、それらが私の人生を大きく変えました。
高校卒業後の2008年に、自作の『天馬の道』が、全日本吹奏楽コンクールの課題曲に選ばれた時には、在りし日の、あのワクワクしながらティンパニを叩いていた少年時代を振り返り、吹奏楽曲を通じて子供たちの青春の一ページに自身の作品が関われた事を、何よりも幸せに感じました。

吹奏楽って、本当に素晴らしいものです!

 

作曲家:片岡 寛晶

 

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