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ありがとう普門館 - 愛知工業大学名電高校吹奏楽部顧問 伊藤宏樹先生

「ありがとう、普門館」伊藤宏樹先生

険しい頂を目指す中から、メンバーと先生にしか得ることのできない宝物「響き」と、仲間との一生の“絆”
2018年7月9日
「ありがとう、普門館」伊藤宏樹先生

「普門館」デビュー

 

 東京佼成ウインドオーケストラとの会議で6年ぶりに「普門館」に赴いた。事務局での用を済ませ、ふと舞台袖に立ち寄ってみた。「ああ !この匂い」冷たくも温かな「この雰囲気!」本当に懐かしい。全国大会でのステージ直前のドキドキ感が、昨日の事のように蘇ってきた。威厳に満ちたあの「黒いステージ」は、あの時と同じように今日も凛としていた。一歩一歩「黒いステージ」の中央へ・・・。 「この広々とした客席の風景!」「天のように高い天井!」どこかからか“ウォー”という歓声まで聞こえてくるようだ。なんだか自然に涙が出てきた。

        

 私の「普門館」デビューは2001年桑名市立正和中学校、櫛田作品「斑鳩の空」。
 先輩後輩が大変仲良く、常に自主的に練習する素晴らしいバンドだった。全国大会当日は、緊張感というより「自由曲の演奏は、これで最後なんだ」という名残惜しさの方が大きかったのを覚えている。出演順は前半5番。4時起床、5時から昭和女子大学小ホールで音出しの後、初めての黒いステージに向かった。
 私は「普門館」の客席で数々の名演を聴いてきた。その中でも、土気中のビッグサウンド、宝梅中の超ブレンドサウンド、野田中の技巧シンフォニックサウンドが憧れだった。しかし、どう転んでも自分のバンドにはそんな力はない。ただ、今までのバンドにはない「一人一人が、単純な音符を自分の感性で、唄い・表現する音楽づくりを目指そう!」と必死に生徒と練習に取り組んだ・・。そのために暗譜演奏にも拘った。何より「斑鳩の空」の最後は、PPPで静かにみんなで“こころ”を示して終わりたかった。これが私たちなりの表現方法だ。
 演奏途中の事は、無我夢中で何も覚えていない。しかし最後、ピッコロのソロの残響後・・・間・・・バンドの“こころ”が一つになった瞬間が見えた。
 熱いサウンドではないけれど「普門館」に“こころ”が響いた気がした。とても嬉しかった。そのあと、聞いたことのない怒涛のような拍手が沸き起こった。吹奏楽人生、一生涯忘れることのない「金賞」だった。


 次の年2002年は同じ櫛田作品「秋の平安京」。この年は、音楽大学時代ともに吹奏楽に没頭してくれた大切な後輩、海田町立海田中学校の古土井先生と前半の部8番、9番と、並びで演奏ができた。普門館が祝福してくれているかのような心持で、不思議なことに全く緊張しなかった。「お互いに全国大会に出よう」という大学時代の夢が叶ったようで、本当に嬉しかった。

愛知工業大学名電高校へ

 2005年より、縁あって愛知工業大学名電高校に赴任することとなる。 05年 ,06年 ,07年 ,08年、 三出休み、09年, 10年と,代表になるも「銀賞」ばかり。そして7年目という節目の年、2011年3月に東日本大震災がおこる。2011年は、本当に特別な思いで「最後の普門館」に臨んだ。自由曲候補だった曲が、7月に入り急遽演奏できない事態に・・・。7月20日に神にも縋る思いで出版社に飛び込んで片っ端から選曲。東日本大震災、自分の無力さやバンドの低迷もあり、ふと目に入って来たのが福島氏の「祈りの鐘」だった。この曲だとすぐ確信した。何とか東海大会を抜け全国が決まったものの、9月に入ると意見の食い違いも表面化、練習に全員揃わない日々が続き四苦八苦していた。
 いよいよ演奏順が決定。なんと王者精華女子高校のあとと判明・・みんな騒然、青ざめた。そんな折、当時精華女子高校の顧問、藤重先生から電話がかかってきた。「連ちゃんだね。一緒に楽しもう!」私にとっても、メンバーにとっても、とても嬉しく勇気の湧く一言だった。そこから、仲間どうしの猛烈な立て直しが始まった。なにも気負うものはない・・「普門館」まっしぐらだった。 「普門館」当日を迎えた。袖では精華女子の迫力満点のスパーク「宇宙の音楽」。
 「凄い演奏だ。素晴らしいね。」みんな緊張はしていなかった。「自分たちの音楽をしよう。楽しもう!!おーーーー!!」精華のブラボー!嵐の中、みんな笑顔で着席した。集中・・・。震災で犠牲になった方へ・・・そして普門館に感謝・・・「祈りの鐘」タテがどんどん決まった。ハーモニーがいつもよりはまった。
 クライマックスの“ため”も劇的で深かった。全員が本当によくついてきてくれた素晴らしい演奏だった。精華とは違う種の「ブラボー」「拍手」だった。満足の「金賞」。


 音が鳴らない普門館、サウンドにならない普門館、音楽が伝わらない普門館。
私は7回普門館で演奏したけれど、どのように演奏したら効果的になるのかは、結局はっきりわからなかった。しかし、その険しい頂を目指す中から、奏者と指揮者が得られる宝物「響き」と、仲間との一生の“絆”を見つけることができたのは事実である。


 普門館、ありがとう。 ありがとう、普門館。



愛知工業大学名電高等学校 吹奏楽部顧問 伊藤宏樹

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